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ホークス球団創設85周年

7/10(月)“大阪に帰ってきた”ホークスが戦う鷹の祭典 in大阪 開催!

 

 戦前から脈々と繋がるホークスの歴史。南海からダイエー、そしてソフトバンクへ。その息吹が聞こえる大阪の地でホークスが戦う。当日の京セラドーム大阪での西武戦では、来場したファンにエメラルドカラーの特製ユニフォームと応援フラッグが配布、「勝ちにこだわりたい」という切なる願いを込めた勝利のお菓子「キット勝つと!」も先着1万人に配布される。

大阪の繁華街「難波」のど真ん中に南海ホークスの本拠地大阪球場があった


大阪ミナミの一等地に存在した大阪球場は一大商業施設「なんばパークス」へと姿を変えた


 大阪球場は1950年(昭和25年)9月に開場。その翌年、セ、パの2リーグ制になって2年目にあたる1951年から3年連続で南海はパ・リーグを制覇。親分・鶴岡一人は1リーグ制時代を含め、南海を23年間率い、リーグ優勝11回、日本一2回。1959年(昭和34年)は、名投手・杉浦忠が日本シリーズで血豆を潰しながら「4連投4連勝」という伝説の投球を見せ、球団初の日本一。初の東京五輪が開催された1964年(昭和39年)の日本シリーズでは阪神との“関西決戦”を制し2度目の日本一に輝いている。

 1970年(昭和45年)からの8年間は、名捕手・野村克也が大阪球場を舞台に、プレーイング・マネジャーとして活躍した。江夏豊は、阪神から移籍してきた南海で、野村から「野球界に革命を起こそう」と口説かれ、後に「優勝請負人」と称される無敵のストッパーへと進化を遂げる。その“再スタートの地”こそ大阪球場だった。そして歴代通算3位の通算567本塁打を数えた門田博光は、そのうち大阪球場で202本のアーチを放っている。

福岡に「行ってまいります」


1988年10月15日。南海ナインは大阪球場に別れを告げ福岡へと旅立った


 ホークスの球団史に刻み込まれた、それらの数多のドラマを生み出してきたその“聖地”が、悲嘆と寂寥に包まれたのは1988年(昭和63年)10月15日のこと。ダイエーへの球団売却が決まり50年間半世紀にわたった南海の歴史を“閉じる”ことになるこの年、その日が大阪球場で行われる南海としてのラストゲームだった。南海最後の監督でありダイエーの初代監督である杉浦忠の名言が浪速の夜空にこだました。「行ってまいります」――。

 大阪球場が取り壊されたのはその10年後の1998年(平成10年)。その跡地は一大商業施設の「なんばパークス」へと姿を変え、2003年10月(平成15年)にオープンした。その2階に「キャニオンコート」と呼ばれる吹き抜けとなったエリアがあり、そこへ至る「キャニオンストリート」の一角にホームベースとピッチャーズプレートが埋め込まれている。それらはかつての大阪球場と同じ位置に再現されているものでもある。南海の名残を感じられるその場所に、ホークスが“里帰り”を果たしたのは、2023年(令和5年)7月1、2日のことだった。

7月1、2日 大阪球場に藤本監督が帰省


大阪初公開となり話題を呼んだ高さ2.2メートルの「BIGFACE藤本」


 夏の恒例となった「鷹の祭典」。2006年から、この看板を掲げて行われているホークスの一大イベントだが、2023年の大阪での開催は7月10日に行われる京セラドーム大阪での西武戦。このゲームを前に一足先に大阪球場へ監督の藤本博史が“帰省”した。口ひげがトレードマークでもある指揮官の“ビッグフェース”が、かつてのマウンド後方付近にどんと鎮座していた。ちなみに藤本も35年前、大阪球場での南海ラストゲームに「八番・三塁」でスタメン出場している。

 高さ2.2メートルの「BIGFACE藤本」は2022年の開幕戦で北海道日本ハムの監督新庄剛志が「BIGBOSS」と称したのに対抗して作成され、その巨大モニュメントの台座には、選手たちの直筆サインも書かれている。もちろん大阪での初公開とあって7月1日の公開前には浪速のホークスファンを中心に、およそ40人の行列ができるなど話題を呼んだ。「うわっ、デカッ」そんな驚きの声とともに記念のツーショット写真をスマホに収めるファンの姿が絶え間なく続いていた。

 球団によると「鷹の祭典」に際し、大阪で事前のイベントを開催したのは今回が初だと言い、「大阪には昔ホークスがあった。その歴史をぜひ感じていただきたい。そして大阪とホークスには切っても切れない縁が今も続いているという意味での今回のイベント開催です」と説明している。

鷹の祭典で選手が着用した歴代のユニフォームが並んだ


2006年〜2022年の18年間のユニフォームの変遷


「BIGFACE藤本」の横には、2006年(平成18年)から2023年(令和5年)までの「鷹の祭典」ユニフォームが展示され、そのスペースの横には南海のグリーンのユニフォーム、背中に白地で「19」と記されたユニフォームも飾られた。言わずと知れたレジェンド・野村克也氏のものだ。1977年(昭和52年)オフに解雇された経緯などもあり大阪球場の跡地でもある「なんばパークス」9階にある「南海ホークスメモリアルギャラリー」には、野村氏関連の展示やグッズなどが長らく置かれていないという時期が続いていた。2020年2月野村氏が逝去。その後、南海OBの江本孟紀氏が中心となってクラウドファンディングなどを行い、その資金などをもとにギャラリーを改装。野村氏のミットやユニフォームを展示できるようになったのが2021年2月のことだった。

 ホークスの歴史の息吹が聞こえる大阪で7月10日(月)に戦いが始まる。藤本監督の“顔”が、どこか、しっくりと、難波の街に馴染んでいるように見えたのは、気のせいだろうか。そして、鶴岡さんも、杉浦さんも、野村さんも、大阪に“帰って来た”ホークスの戦いを、きっと楽しんでくれることだろう。

文=喜瀬雅則 写真=宮原和也、BBM
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